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伝説の朱蒙は卵から生まれた事になっていますがクムワもこれまた奇異な生まれです。金蛙って変な名前だなと思ったら体中が金色で目が出ていて蛙そっくりだったのでクムワと呼ばれるようになったそうです。もちろん人間の母から生まれたのでは無く父王ヘブルが見つけた"人の形をした石"をどけたらクムワがいたという話です(笑)
そんな普通でない生まれだから実子をうまく育てられないの? 中国北東部松花江流域に解夫婁王がおさめる扶余部族の国がありました。どのような成立を経たのか定かではありませんが平原の国なので農耕というよりは遊牧国家だったようです。王の下には大小の勢力を持つ部族がおり、部族の頭は氏族の頭を率いていました。ドラマには登場していませんが部族の頭を大加、氏族の頭を小加と言ったそうです。毎年12月に"迎鼓"という老若男女を問わず楽しむ祭りを開いたようです。朱蒙がプヨンとサボった祭りは"迎鼓"のことだと思います。 年老いて子供のいなかった解夫婁王はある日、狩へ出て金色に輝く子供を拾い皇太子にします。アンランプルという家来の見た"東へ遷都して東扶余とせよ"という夢のお告げで東へ国を移します。ある日"神の子"と名乗るヘモスが現れ北扶余を建てたので扶余は2つに分裂します。 狩に出かけたクムワ王は優渤水(ウボルス)という川のほとりで河伯(ハベク)の長女ユファと出会います。ユファは川で水浴びをしている時に出会った"神の子"と名乗るヘモスと内密に結婚しましたがヘモスが天に戻ってしまい途方にくれていました。結婚のことを知った父に追い出され行く当ても無く困っているユファをクムワは宮殿に連れ帰ります。宮殿に落ち着いてしばらくするとユファは大きな卵を産みました。不吉な兆しと思ったクムワは色々な方法で処分しようとしますが不思議なことが起って処分する事が出来ません。結局ユファの元に戻し数日後、殻が割れ男の子が中から出てきました。男の子は弓の腕前が天下一なので朱蒙と名づけられました。(東扶余では弓の上手な人を朱蒙と呼んでいた) クムワには7人の王子がいましたが優れた気質の朱蒙を警戒していました。成長した朱蒙には烏伊(オイ)、摩離(マリ)、陜父(ヒョッポ)の3人が従うようになり、礼(イェ)という娘を妻としましたが20になった頃、7人の王子の殺意から逃れるためユファの勧めで朱蒙は東扶余を出ることになります。妊娠している妻に「七つの峠と七つの谷の松の根元に七角形の石がある。と子供が生まれたらそこに隠してある物を探し出して私の元へ来るように」と告げて淹淲水(オモス)川をオマヒョと共に渡り、卒本(チョルボン)にたどり着き紀元前37年高句麗を建国し姓を「高」と改めます。 途中、桂婁(ゲル)族の頭である再思(チェサ)、武骨(ムゴル)、黙居(ムッコ)を家臣に加え、22歳で高朱蒙となった朱蒙は沸流国(ピリュ国)の女性を王妃に迎えます。王妃は沸流(ピリュ)、温祚(オンジュ)の2人の王子を産みます。高句麗の建国から14年目の8月、ユファが亡くなった事を知った朱蒙はクムワに礼をして恩に報います。19年目に見知らぬ瑠璃という若者が訪ねきて息子のしるしである刀を差し出します。彼を太子とし5ヵ月後の建国19年目の9月朱蒙は世を去ります。概算して41歳で亡くなったことになります。 二代目の高句麗王となった瑠璃は朱蒙を龍山(ヨンサン)に葬り東明聖王(トンミョンソン王)とおくり名をして祠堂を建てます。 沸流(ピリュ)、温祚(オンジュ)は臣下となり国を離れオンジュは百済の祖となり、東扶余は瑠璃王の息子無恤(ムヒュル)にテソとその弟が倒されて滅亡します。ムヒュル若干9歳の頃です。 朱蒙に続編の話しが出ていますが主人公はこのムヒュルだそうです。 伝説は以上です。ご存知のように高句麗は現在中国と北朝鮮の領土になっています。近代になってからの発掘調査は行われず歴史的文献も伝説と400年以上後に書かれた現存最古の朝鮮の歴史書「三国史記」があるのみです。中国側からの資料によると漢の武帝が設置した朝鮮4郡のうち「玄菟(ゲント)郡」は、高句麗の封じ込めをねらって設置されたものと考えられています。この玄菟郡がBC75年に遼東郡に吸収され玄菟城(現在の中国遼寧省方面)に名目を残すだけとなったということは、逆に高句麗の拡大を暗示していると言えます。中国は高句麗の領域を独立国ではなくあくまでも中国の一地方と捉えているようです。 一小部族であった扶与は強力な中央集権体制を取り入れ軍事力によって近隣の諸部族を征服して拡大していったと考えられています。、高句麗の北側、現在の中国黒龍江省あたりが本拠地とみられる朝鮮半島の北側大陸部を中心に成長した国です。 一部高句麗と百済が分かれたのは伝説の王室間の話だけでなく、朱蒙でも問題となった塩が貴重だったため国を割るしかなかったからという理由もあったようです。 朱蒙が2人の妃を持っていた事は知っていました。現地放送でも最初の妃はイェスなので伝説のイェと考えてよいでしょう。そして卒本の娘の産んだ王子が百済の祖になる事も知っていました。その王妃はソソノかと思っていたのですが伝説からだとソソノじゃなく沸流の娘じゃないですか!→このじいさんに娘がいてその人が王妃になるのならソソノはどうなるんでしょう。哀しい結末なの?
by jumong
| 2006-11-08 23:00
| 朱蒙について
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